Matsumiさんのよーがは「木綿のよーが」です
デイケアで仲良くなった80代の方が仰った
なんて嬉しいことだろう!
「木綿のヨーガ」というたとえは素直にとても嬉しかった
「私は母から子供の頃に木綿はとても素晴らしいものだと
聞かされていました。
木綿ってどんな風にも使えるでしょう
最後の最後まで使える
Matsumiさんのよーがは私にはもめんのよーがなんです」
その方も壮絶な人生を送ってきた方だった
子供の頃から病弱で入院と静養生活
結婚生活でもたくさんの苦労をされ働きずめの人生だった
働きずめの苦労が終わりを告げたころ病気になり
「一生お箸も使えず車椅子」と医師に宣告された
その方が凄いのは猛烈にリハビリを頑張り
車椅子どころか 室内では杖もいらないほどになり
退院後は独居に戻ることを希望し
食事はお箸を使えるまでになった・・・
意識や心に関する話にはいつも深い関心をよせ 内省する方だった
いつもクリアでなにごとも真摯な方だった
私がデイケアを辞めると伝えた時
その方は泣いてしまった
伊東から東京に7年通うのはもう無理だったけど
深いかかわりを持てた方々と離れるのは胸が痛かった
「Matsumiさんがヨガをしたとか 何か言ったとか
そういうことじゃなくって Matsumiさんそのものから
・・・全部から伝わるものが良かったんです」
「すごく嬉しいけど
私はいつも試行錯誤でこれでよかったのかなぁとか
今日はダメだったんじゃないかなぁ・・・とか・・思っちゃうんですよね」
「あ、たぶんそれです そのまんま なのがいいんです
うまくやろうとしない わたしはうまくやらなきゃっておもっちゃいます
でもMatsumiさんは いつも そのまんまで それが観える
Matsumiさんに会えて わたしは死ぬのが怖くなくなったんです
それまでは 私は死ぬのが怖かった」
ご病気から失語症もあり
一生懸命話そうと思うほどに話せなくなるそうで
とてももどかしいと言う
それでも一生懸命言葉を紡ぎながら語ってくれた
その方も 入院していると聞いた
8年前 息子が他界した
仕事は休まなかった
休んだほうが 辛いので 普段どうりにしていた
あらゆる刺激が辛く
家を出る時はサングラスにマスクに帽子という怪しい姿で
外界をできるだけシャットダウンしていた
父が他界した2年後に息子が他界し 翌年恩師が他界
最も大事な人の生き死にのはざまに伴走した数年間
死を直視した
ご高齢者のヨガは 私はあえて死を意識して接している
そのことで 何かが伝わっているのを感じる
認知症が入っている方も
顕在意識ではコミュニケ―ションが十分取れないが 何かが伝わっている
人間の力 魂の力
すごいなぁ…と思うことがよくある
死は避けるものではなく 直視するものだと私は思う
だからこそ いまある命が光を放つ
(ほんとは死ぬも生きるも無く・永遠 無限だけれど)
まったく思いがけず
「死ぬのが怖くなくなった」
という言葉を聞いたとき
私の深い意図が伝わっていることを知った
海底のような 深い安堵と喜びが 拡がった・・・
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