スピリットダンスは参加者によって内容が変わる。
いつも一定ではない。
参加者の体も心も毎回違うからその変化を観ながら進めるので毎回予定どうりには行かない。
都内でのスピリットダンス、昔々田中泯さんのところでやったボディワークを入れた。
相手につられて即興で動く~というもの。
身体がいかに色々なものに即座に反応しているかが感じられるワークでもある。
繰り返す中で参加者の体も心もどんどん開いていったので
予定を変えて時間をかけた。
心や体が開くにつれて動きも声も何もかもがどんどん自由に開いていく。
とらわれがどんどん無くなって透明になっていく。
そういう変化を観ていると
ものすごく嬉しいし楽しい。
「こんなに自由に動けるのに
この個性と才能を日常でどう活かしているんだろう?」と良く思う。
・・・・・・・・・・・・・・
ものすご~~く自由な感性で踊る参加者の方がいました。
「○○さん、そんな風に踊りながらコンビニとか行っちゃえばいいのに」
「・・・・やるんですよ~~~・・・でも変だからやめろって言われる」
「誰に?!」
「その時一緒にいる友達とか」
「え~~~!勿体ない!!! いいじゃない、楽しいじゃない!
そんな風に自由に動けるのって才能だよ~~~ 凄い素敵!」
「ん~・・・・・・やめちゃう自分がいるんっすよ」
とてもとてもとてもとても活き活きしていました。
自由自在な自分を心から楽しんで喜んでいるようにもみえました。
からだも心も純粋にまっさらにダンスしているように わたしは感じました。
心を解き放つほどのびやかにありのままの自由なダンスが生まれます。
年齢も能力も全く関係ないのです。
その方の自由な感性はそのままその方の自由な人生を表しているようにも感じました。
元企業に勤めていた人とは思えない?????(笑)
ワークショップが終わってからそんな話をみんなでひとしきり。。。
ご本人はその自由な感性と素直に動ける身体を社会の中でいま一つ活かしきれない~と思っていらしたようでした。
勿体ないなぁ・・・
でも それが 今の社会 というか
いまの世の中のあらゆる関係性に象徴されていることだな・・・・とも
・・・・・・・・・・・・・・
ワークショップでは結果的にいつもみーんな自由に踊れてしまうのだけど、
体は動いていても 思考から動いていたり、心が固まったまま
体だけを 動かしていることもある。
人によりけりで いい悪いではない。
今の時代、思考全盛。
身体を感じて動くのではなく
思考から体を動かしていても無理もないと思う
でもそれでは心はなかなか解き放たれない
本来の自由な感覚やすがすがしさは
残念ながらたぶんあまり感じられないと思う
時間をかけるとその人の社会の仮面みたいなものがだんだん剥がれ落ちてくる。
素の自分が出てくる。
悪戯っ子のような表情が出てきたり、ものすごく力強かったり、無垢に遊ぶ子供そのままだったり。
皆それぞれ すごく素敵だ
ありのまま とか 独自性 とか 個別性 は
世の中ではどちらかというと歓迎されない。
日本では特に迎合すること、合わせることが暗黙の裡によしとされる。
自由な感性を持ってる人は息が詰まる。
うまく迎合できないことで自分に自信を無くす
自分の個性を社会に人間関係に仕事に合わせられないことで
自分はダメないんじゃないかと思う。
それをはねのけて我が道を進める人ばかりではない
これ違うよなぁ・・・・・
そんな思いもあって・・
の
ダンスワークショップ
ありのままに 自由に動ける 踊れる 唄える
そこからその人本来の力がのびやかに拡がっていく
(魂の必要に応じて深い体験も起こる)
ありのままに踊れたなら・・
ぜひそれを自分の日常で生きてほしい!!!
ダンスワークショップの場では
ありのままになれる自分が
日常 どれだけありのままでいないのか
どれだけ自分に正直に
誠実に生きることから離れてしまっているのか
それが自分の人生に何をもたらしているのか
そんな風に自分を紐解いていく一助になれたらいい
ありのまま=なにをしてもいい ってことではない
思考は自分をごまかす
美辞麗句でまるめこむことができる
でも体はうそをつかない
感覚の鈍麻と過剰適応は心身の不調や病気の元にもなりえる・・・
からだの叡智 奥深いですよ。。。。。
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